「まくをおろすな!」
パンフレット付録サイト
まだまだあるぞ、
「まくおろ」トリビア!!
制作のこだわりを、知れば知るほど面白い!
これを読んだらまた映画を観たくなる「まくをおろすな!」トリビアをさらにご紹介。

※付録トリビアの更新は終了いたしました

1
ブン太を操る仰天斉の巧みな催眠術!
「いずもや」で仰天斉(正雪)はヘボ催眠術師を装っているが、ブン太の催眠暗示は也哉子ではなく仰天斉がかけたもの。也哉子は正雪から教わっていた催眠覚醒の信号音を煙管で打ち鳴らしたに過ぎない。正体を明かした正雪は、いったんは煙管を拾い上げてみせたが、ブン太と刃を交えたい武士としての血が騒ぎ煙管を捨てたのだ。
2
映画の也哉子は、舞台版とはまるで別人!?
舞台「のべつまくなし・改」での也哉子はとっても気のいいかふぇの女主人。しかし映画では策謀家で殺しの技を身につけた雪斬り衆の一人だ。ちなみに、舞台版での由井正雪は物語がはじまった時点ではすでに死んでおり、終盤で生死の境をさまようブン太の前に亡霊として現れる。映画と舞台で、登場人物が重なりながら設定を変えることで、どちらを観た人にも新鮮な驚きを感じてもらえる仕掛けにしている。
3
全キャスト、1度も刃こぼれを起こさずに迎えたクランクアップ。
殺陣の技術の中に「被せ」というものがあり、実際に刀が当たっていなくても当たっているように見せるやり方のことで、舞台ではたいていこの技法を用いる。普通、映像作品の場合は、柔らかい素材の刀や、斬られる人に襦袢を着せて実際に当てる事を主流としているが、今作の殺陣は全員「被せ」で演技をしいる。越岡はじめ舞台経験の多い本作ならではの特徴ともいえる。本格的な刀の殺陣は初挑戦の工藤美桜の稽古にも、越岡がしっかり相手役として立ち会ってくれている。その成果もあってか、怪我や事故は一切起こらず、全員、無事にクランクアップを迎えられた。
4
「幕の内でしょう!」は目にも振り付けを!
「目ん玉こすって」という歌詞のところで、振り付け担当のいっとんさんは「ただ目を擦るのは面白くないな」と思い、目をガン開きにして手を擦りまくるという振り付けにしたそう。「目の開きまで振付したのはこれが初めてです!」とのことなので、俳優たちの目にも注目して観てほしい。
5
大岡裁きの陰に、思惑の違う赤穂浪士のリアクション!
討ち入りの後、お白洲で大岡越前に裁きを受けるヤスベーの顔に浮かぶ笑み。ヤスベーだけはこの時点で、大岡越前が裏御三家であり、自分たちの仲間だと知っている。一方、実は雪斬り衆の寺坂吉右衛門は大岡越前の裁きに「えっ!? 」と驚愕の様子。その表情を見比べるのはこのシーンの醍醐味だ。ちなみに、本来、幕臣である赤穂浪士が町奉行の裁きを受けることはなく、大目付という役職が彼らを裁く。
6
緊迫したシーンにこそ、笑いが生まれる。
密かな団子争奪戦──勝者は?
ブン太とヤスベーが赤穂浪士の討ち入りを止める話を真剣に交わしている最中、ヤスベーがブン太の前に置いてある団子をつまみ食いしようとする争奪戦が密かに繰り広げられている。この芝居は現場で清水監督がつけくわえたもの。喜怒哀楽は常に紙一重。「人間は何かを話している間にも、別のことを同時に考えるもの」で、緊張感のある場面にこそ、笑いも起きやすいとは監督の弁。しかし、最後に団子を勝ち取ったのは、参戦していなかったはずのモン太だった!
7
実は浅野内匠頭に憑依された人は同じ殺陣の型を使っている
ヤスベーと相対した吉良の殺陣(たて)や、浅野が憑依したモン太がブン太との斬り合いになるシーンなど、浅野内匠頭の実直な剣筋を表現する為、殺陣の手としては同じ型を用いている。だが、憑依された側のキャラクター自身が持つ個性がそこに加わることで、全く同じにはならないのが人間の身体の不思議なのだ。その違いも楽しんでみてほしい。
8
ブン太の赤フンだけに惑わされるな!!
よく見ると……。
モン太が徹夜で台本を書き上げたとき、布団から跳ね起きたブン太は赤フン一丁。ついついセクシーな下半身に目が行きがちだが、よく見ると彼の背中には大きな刀傷がある。また左腕の上腕には火傷の痕が。これはブン太がまだ雪斬り六人衆の「参」であったときの名残り。刀傷は本編冒頭で、芭蕉に斬られたときに受けたもので、左腕の火傷は自ら「参」の紋章を焼き消したときの痕である。一度目は、モン太の投げた本が股間にヒットして悶絶しているだけのシーンだが、ブン太の過去を知ってから見ると彼の抱えてきた罪の痕が身体にしっかり刻まれていることがわかるのだ。
9
討ち入りレポーターの阿部祐二之丞が手にしているものは!?
劇中で赤穂浪士の討ち入りレポーターを務める阿部祐二之丞のシーンは、演じる阿部祐二がレギュラーを務める日本テレビの「スッキリ」にテロップの表記まで似せている。江戸時代にはさすがにカメラもマイクも存在しないが、阿部がマイクのように手にしているものは、よく見るとしゃもじ。このしゃもじは監督の遊び心を理解した助監督が提案したアイディアで、おかげで阿部のレポーターっぽさがより際立つシーンとなった。
10
キャラクターが生み出す笑いに、ギャグを融合した笑いの魅力!!
コメディとは物語の流れに沿ってキャラクターの行動から生まれる笑いのことで、ギャグとは瞬発的な笑いで現場のアドリブから生まれることが多い。例えば、松の廊下での吉良と浅野の会話。岸谷と清水は、共に舞台人でもあるからこそ、息のあった呼吸でキャラクターを崩さないままアドリブで笑いを足している。額を斬られたあとの吉良の目パチパチのアイコンタクトや、刃傷沙汰を示し合わせて頷きあうリアクション、「たくみん」のセリフのあとの拳を握る吉良のリアクションなど。また、討ち入りリハーサルで、吉良が夜食まで用意したことを伝えた後(ここまでは台本通り)に、口にする「おすすめは牛すじ大根だ」などのアドリブ。監督はギャグとコメディを融合して笑いを生み出している。
11
「まくをおろすなLIVE」はストーリーが8パターンも!
2022夏に上演された、「まくをおろすなLIVE」は、“LIVE”の名前の通り、映画「まくをおろすな!」本編で使用された楽曲による歌や踊りのライブはもちろん、映画に繋がる物語として、前日譚のエピソードが展開されている。キャストの出演バリエーションにより、18ステージの中で物語も8パターンも展開されたので、見た回によって映画を見る時の人物の掘り下げが変わるという特殊なシステムになっていた。
12
くるりと回ってわん!は本当の犬の声
どっぐかふぇで仰天斉が「くるりと回ってわん!」と言っているが、この「わん」は、実は本物の犬の鳴き声。本来なら、客にかけるはずの催眠術に自らが完全に犬になってしまったことを、本物の犬の鳴き声を使うことで表現している。
13
大石がみんなと仲良くなっていくのは…
ブン太と大石が「誰も死なない討ち入り」の契約をする場面で、手付金50両を払う際に大石がお金を出す代わりにした握手。大石は懐に手を入れて財布を出そうとするが、持ち合わせがないことを思い出して、握手でごまかしたという芝居。これは大石たちも赤穂の侍も財政難に苦しんでいるということをコメディとして表現した。ここでは、命にかかわる話をしながら、シリアスになり過ぎずキャラクターらしい笑いも取り入れて仲間になっていくさまを見てほしいという、監督の思いが込められている。
14
犬屋敷郎府の名前に隠されたヒミツ…。
いずもやの人気者、犬屋敷郎府は、実は時の将軍・徳川綱吉。名前の字面だけでは気付かないが、「郎府(ロープ)=綱」のもじりで、暗に彼の正体を匂わせている。芸人のときに関西弁を使うのも素性を隠すための偽装工作であろう。歴史上の有名人物が別人になりすますのは歌舞伎ではよく使われる技法。映画でも「実は○○だった」と意図的かつ効果的になりすましの技法を使っている。ちなみに、郎府が綱吉だと知ったときの也哉子の表情にも要注目。「お前が綱吉だったのか…! どうしてくれよう」という雪斬り衆だった也哉子の含みのある表情を、もう一度劇場で確かめてみてほしい!!
15
ダンスのコンセプトは、ずばり「日本の祭」
「The Breakthroug My Century」は「切り開く」、「喜び」の2つをテーマに振り付けをしている。そこから連想ゲームの様に「壊す」、「走る」といったキーワードの表現も加えている。また、この映画全体を通して、手拍子(クラップ)を入れたり、足音を立てたり、万歳したりと、日本人が好きな祭の持つ高揚感を出すようにしている。ダンスのところどころでこれらのアクションを活かした振り付けが展開しているので探してみよう。
16
「まくをおろすなLIVE」ではブン太とモン太の出会いなどが描かれた
このまくおろLIVEでは、主人公のブン太とモン太の出会い、またバディを組むまでのエピソードや、ブン太自身が出演キャラクターである寺坂、大岡、犬屋敷、大石と行動を共にするパターンがある。なので、この映画のストーリーより以前に、大石は赤穂から江戸城へ塩の献上品を届けに来た際、ドッグカフェとなる前の「いずもや」でブン太と出会い、なにかあったらブン太の力を借りることがあるかもしれぬという会話を交わしていたりする。一方、唯一、ヤスベーとはLIVE版では出会っておらず、そのヤスベーとブン太の出会いは、映画本編の中で描かれているという部分も興味深い。